『徳島市街詳地図』(小山東洋著・小山助学館発行・500円)
弊社は1906年(明治39年)に創業しました。その年、創業者・小山弥平により作られたのがこの『徳島市街詳地図』です。(「小山東洋」はペンネームです)
漢学者だった弥平は、本を書いて出版社に売り、それを元手に書店を開業しました。「人々の学問の助けになりたい」という想いから社名を「助学館」とし、その志は100年以上経った今も受け継がれております。しかし、当時は地方にまで本が流通せず、新刊も続々と出るわけではありません。そこで、自ら本を作り、売ったのが、弊社の出版事業の始まりであり、その一つがこの地図なのです。
徳島駅を中心に、南北は秋田町から旧下助任村、東西は旧安宅村から旧佐古村までの範囲が描かれ、学校・病院・旅館・その他、主な施設名が記された、100年前の徳島を知る上で貴重な史料です。
徳島市街詳地図を持って、当時の名残を探します。徳島市街詳地図今昔、第6回は「寺島川」です。徳島と寺島の間を流れていました。 現在は完全に埋め立てられて一つの島になり、瓢箪島と呼ばれています。
徳島公園と線路の間のこの水路は、寺島川の名残です。
ここの石垣には舌石という遺構があります。屏風折塀の支柱石です。
旧寺島川沿いに32メートル間隔で6個残っています。全国的にみても非常に珍しい遺構です。この水路と舌石は公園に渡る鉄橋の上からも見られます。
名残はもう一つ!あわぎんホール裏西側、新町川の古い護岸の石組みが途切れています。
20メートル程途切れています。ここで寺島川は新町川と交差していました。この古い護岸の途切れ目は、干潮の時に見るのをおすすめします。
昭和40年代の初めごろまで川の一部が残っていました。
これは昭和35年に徳島市が広報用に撮影した寺島川の写真です。橋は次回ご案内予定の徳島橋です。
徳島市街詳地図今昔、第6回は「寺島川」でした。
今後も徳島市街詳地図を片手に、「100年前の徳島」を探します!